名もなき毒
- 作者: 宮部みゆき
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/12/06
- メディア: 文庫
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- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/09/27
- メディア: 新書
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立て続けに毒が関わった話を読む。
宮部みゆきさんの方は誰か―Somebody (文春文庫)
と同シリーズであり、途中で関連した話もちょっと出てくる。
宮部みゆきが好きなのは、自分が大作家だという自覚が有るところかもしれない。
理由なき犯罪。根拠なき悪意。殺人事件などの凶悪犯罪は昔と比べて明らかに減っている。だが、現代は治安が悪くなり安心できない時代らしい。その感覚の源泉は、(他者から見たら)理由がわからない犯罪が注目されるからだろう。
14歳の子が幼き子を殺害し、学校にその首を晒す。被害者から見ればまったく身に覚えのないのに、憎まれ襲われる。そんな事件が起こるたびにメディアは煽って取りあげ、その異常性におびえる。
男女間の痴情のもつれ。金目的。怨恨。もっとわかりやすい、他者から見ても納得できる理由があればそこまで恐ろしく思わないのだろう。
犯罪という不条理なことを犯すにはそれだけの理由があるはずだ。それだけの理由がない私などは犯罪を起こさない。なのに理由なき犯罪なんてものが存在する。
犯罪者と「私」の間には明確な差があるはずだ。なければおかしい。
理由なき犯罪に人々が注目し怯えるのは、私と犯罪者との差異がそこまではっきりとしていない事に気づかされる恐ろしさではないか。
そんな社会の不安を、精力的に取りあげる、取りあげなければならないという気概を持ち、ただ行動する作家が好きなのだろう。
現代においては、そんな縛り気にしなけりゃいいのにね、とは思うが、そこらへんは作家の性ってやつで。安全な道と困難な道であれば困難な道を!みたいな異常性ぐらいないと傑作というのは書けないのかも。
猫殺し
そういや、作家の坂東眞砂子さんが子猫を殺したということで話題になったようで。ずいぶん前の話ではありますが。
近所の年寄りなんかの話だと、昔はよく生まれたばかりの子犬子猫をさっさと殺したらしい。川とかに投げ込んで。
数が増えすぎるとひとつの家で飼えないからね。もっとも今は、昔はぽいぽいっと川へ投げ込んでいた年寄りもそんなことはとうていしなくなった。ま、全員が全員やっていないとは言い難いが。
時代の空気が変わったからだろう。で、片方では昔の猫殺しを平然と語り、一方ではテレビから流れる命は尊いという物語に心の底から感動する。
ま、そんなもんだろうと思う。
猫が増えすぎて困る → じゃあ殺してしまおう、ってのが、猫が増えすぎて困る → 殺すのは心的抵抗が大きくなった(周りの目もあるし) → そこら辺に放してしまおうか、動物愛護センターへに変わったぐらいのことだろう。
普通の人は空気を読んで、行動を変えるだけで、その事象自体を語ることなんてしない。猫を殺すことの是非と命の問題なんてものは、まず普通は語らない。必要に迫られて殺す人は、殺している事自体を表に出さないか、聞かれないと言わないだけだろう。猫を殺す事の是非なんてことは、まず語らない。ただ殺すだけだ。
そこら辺の話は、まあ言わなくてもわかるよね、って領域のものだろう。言葉にはされないけど共有されるもの。それをわざわざ言葉にするのは特殊な人だけだ。
で、坂東眞砂子さんは、その特殊な人である作家だったわけだ。だからまあ、彼女の行為が非難されるべきものなのは当然だし、非難されること自体はどうとも思わんけど、反応として適切なのはxx-internetさんのかも。